イフオアとレコメンとわたし。

気持ちの整理をするために書いてます。

支離滅裂で矛盾しててわけがわからない自分の感情を全部吐き出したらこうなります。勝手な憶測推測深読みオバケも出てきます。

ご注意ください。

 

 

4月になりましたね。

わたしにとって、色々あった今年の3月が終わりました。

まず、2018年3月18日。

わたしにとって、5回目の春。

念願だった、If or …大千穐楽。村上さんが頑張ってきた300回目の公演。

この年は、何がなんでも取らないといけない気がしていた。仕事を辞めてでも、嘘をついてでも、絶対に休んで行かないといけない気がしていた。

 

当日はそれはもう、気合を入れた。見られるとかそういう事じゃないけど、とにかく気合いを入れた。今回は歴史モノだったので、倣って着物を着た。

何なら帯だって新調した。紫色の蝶の帯。蝶は角度によって色んな色味の紫に変わる。とっても綺麗な帯。すべては、自分が後悔せずこの日を迎え、祝い、いい思い出にする為。要するに自己満足のため。

結論から言うと、全力を出し切っておいてよかった。この日、村上さんは、私が1番恐れていた言葉を口にした。

「お察しの通り、一旦このIf or …を閉じさせていただこうと思います」

聞きたくなかった。いつか聞くと思っていた。やっぱり今年だったか。まだやめないで。冗談やって言って。値上げしていい?って聞いてくれたのに。値上げしてほしかったのに。

沢山の感情が押し寄せて、そのまま涙になって流れていく。

会場中からすすり泣く声が聞こえ出す。それを聞いた村上さんは、へらへらと笑いはじめ、1番よくわかってるはずなのに「なんでしくしくしてんのかわからへん」なんておちょくりだす。少しばかり目を潤ませて。

さらにわがままな彼女をなだめるみたいに、「一旦、だから。二度とやらないわけじゃない」と諭す。ほら。1番わかってるんじゃん。

そして村上さんはこうも言った。「毎年これ以上続けていく中で、クオリティを上げていく自信がない」

少し躊躇うように紡いだ言葉は、まるで往年の名選手が怪我と年齢に悩まされ、引退を余儀なくされた時のような、できれば口にしたくなかった言葉のように感じた。

ファンにとっても、できれば耳にしたくなかったような気もしたし、彼に言い難い言葉を言わせてしまった罪悪感というか、そんなものも少し感じた。と同時に、ファンを思ってくれてるからこそ、とてもじゃないけど言わなそうな弱気な本音を、正直に伝えてくれたんじゃないかとも思った。

あと、最初に出てきた言葉はやっぱり、スタッフさんへの気遣いだった。スケジュールが取れなくなって、迷惑をかけて申し訳ないと思っていた。どこまでも周りに愛される村上さんらしい理由。そうだよね、そういう人だから私は村上さんが好きなんだったわ。

でも、映像化しない、と口酸っぱく言ってきた彼は、最後の最後に、私たちのわがままを聞いてくれた。

今までの分だって、映像化しないつもりだからやってきたはずなのに、「見たいの?」って聞いてくれた。

「見たい!」「資料用やから画汚いで?」「いい!」「ぶつ切りになるで?」「いい!」「赤西とかいじってるとこは切れるで?」「えー!」「それは無理やけど、ぶつ切りでもええの?」「いい!」「じゃあ…」ってこれなんの会話だと思います?わがままな彼女と優しい彼の会話じゃなくて有名アイドルとファンの会話ですよ?どこまで夢中にさせるんですか。

最後に、いつも千穐楽ではおちょくったように「関ジャニ∞村上信五に戻ります」と言っていた村上さん。今回は「また会える日までどうかお元気で、と言ったらおかしいですけど。次はツアーだったり別の形で、お会いしましょう」と言った。

それは、私たちはどんな興行であろうと「村上信五」に会いに行ってるってわかってたってことかな?今まではそれを分かった上でおちょくってたのかな?高度なボケ過ぎてわかんないよもー。笑

それから、いつもと違ったこと。

ハケ際に振り返らない村上さんが振り返って手を振った。

まるでデートが終わって行き先が分かれるみたいに、じゃあ、と手を振った。まるで「またね」って続きそうなくらいに。なんだよ。待ち合わせかよ。今までこっちでみんな最後まで手を振ってたの知ってたんじゃん。それでも振り返らないのは、本当は寂しがりなヒナちゃんの強がりですか?しょーがないなー可愛い奴め!

そんな風に思ってしまったし、それでも振り返ってくれた事を思うと、やっぱりとにかく優しい人なんだなーなんて思ってしまった。

これはもはや深読みババアの好都合解釈でしかないけれど、それでさらに好きになってるんだから許してくれ。笑

色んな感情がごちゃ混ぜになって、涙が止まらなくて、帰りたくないけど帰らなきゃいけない中で、何度も電車で泣いた。

それから数日、この日を思い出しては泣いて、泣いては頭の隅っこに押しやって、どうにかぐちゃぐちゃの感情がそのまま端っこにまとまった頃、今度は前からわかっていたレコメンの卒業。

あっという間すぎやしませんか月日さん。やっとイフオアのことをどうにか押しやったところですよ。

仕事は22時を超えても終わらなかったので、イヤホンで聴いた。どう思われても、今日だけは逃したくなかった。片耳だけイヤホンをして、死ぬ気で仕事を終わらせて。でも帰りたくなかった。会社からはもちろん出たかったけど、家に帰って聴く気になれなかった。

例年より早く咲いた満開の桜がちょうど目の前に広がる。ここだ。桜も村上さんの門出を祝いたかったんだよねー?なんてオタク得意の好都合解釈をかざして、缶チューハイとつまみと、村上さんが大好きなセブンのエクレアを買った。

時折桜吹雪が降る特等席に陣取り、酒盛りを開始。途中猫とかカップルとかが目の前を通り過ぎ、なんだこいつは?と怪訝そうに見たけど、そんなことはどうでもいい。悲しくて寂しくて引き止めたくて仕方ないこの卒業を、どうにかお祝いにしなくちゃいけない。……なんてのは建前で、シンプルに飲まなきゃやってられないだけなんだけども。

そんな私をよそに村上さんはどこまでも明るくちょけたおす。隣で丸山さんが「強がってる君を見ると泣けてくる」なんてバラす。それを聴いてまた泣く。やめてよ。涙腺ガバガバの目に突き刺さるわ。

わたしにとって、レコメンとイフオアは、わたしが村上担だと自覚させてくれた重要な3大コンテンツの中の2つだった。あとひとつがヒルナンデス。

ヒルナンデスがなくなって、未だになんだか受け止められなくて、ずっとレコーダーの設定を"休"にしてしまってるぐらいデフォルトが懐古厨なので、残りの2つが一気になくなるってもう、1つ歴史が変わるようなもんなんですよ!昭和が平成になるような!平成生まれだけど!そりゃ私の脳内も処理が追いつきませんよ。Windows2000ぐらいの処理能力しかないもん。

それでも時間は均等に刻まれていく。行きたくない私を置いてけぼりにして、その時は来る。

 

村上さんは最後に「木曜日は人生」だと言った。

 

たった4年。

たったそれだけ。私は彼の"人生"のたった4年しか垣間見ていない。そんな私が勝手に届かない駄々をこねて、どうにもならないことなんて百も承知なはずなのに。

 

「このあいだの舞台の時もね……泣きよるんですよ!お客さんが。」

 

あーまたそんなこと言って。もう泣いてるんだから泣かさないでくれよ。そんな風に思いながら涙を拭いているうちに、本人は実にさっぱり(を装ってるのかもしれないけど!)終わってしまった。

やっぱり置いてけぼりになってしまったまま、ヒルナンデスも、イフオアも、レコメンも終わってしまった。一週間後に生放送の彼の姿も、声も、触れることは出来ないし、1年に1回、一番楽しみで仕方ない2月〜3月はもうしばらくやってこない。

この一週間、仕事が実に忙しくてよかった。なーんも考えずに済んだから。むしろいそがしくしてたのかもしれない。ふと夜1人になるとじわじわと頭をよぎってまたどうしようもなく懐古厨になってしまうから。

懐古厨なんていいことはない。今を楽しめてないんだから。それもよく分かっている。

今日から、村上さんの新しいラジオ番組が始まった。だからこそ、追いついて村上さんの新しい人生を見届けたい。どうせ根っからの懐古厨はまた勝手に振り返っては勝手に地雷を踏むんだから、今のうちにとりあえずちゃんとこの気持ちを整理整頓片付けておこう。

 

笑う大捜査線!!から数えると19年間。わたしはそのうち、たった4年しか触れることは出来なかったけど、マネージャーさんのぽんこつ報告や、外食での文句、愚痴、どんなことでもいいから聞ける近況、好き勝手してるのに必ずきっちりオチを尺に合わせるところ、たまに聞ける本当に為になる真面目な話。このすべてが詰まった木曜日が大好きでした。

村上信五くんと経済クン」も、とっても楽しかったです。

これから土曜日が新たな人生として、できるだけ長く、見届けさせてもらえたら嬉しいです。そしていつか、この新たな人生の中に、「ライフワーク」とも言われていた「もしも」が帰って来ることを信じて。

 

村上さん。

イフオアとレコメン、お疲れ様でした。